フィリピン人介護士

imgp4341-x2009年の今年、日本とフィリピンの経済連携協定に基づき、インドネシアに続いてフィリピンからも介護士、介護福祉士を受け入れることが厚生労働省の元で決定しました。来日後の3,4年以内に日本語で行われる国家試験に合格することがその要件です。その限りにおいてフィリピン人も日本人と同等の給料を補償しています。しかし本当に介護を必要としている方々が、介護士に日本語の読み書きが出来ることを求めていますか。何故、高い人件費と高い教育費をかけるのですか。例えば国際社会の中でフィリピンの介護士たちは既に多くの実績を得ていてアメリカ、カナダ、オーストラリア、中近東、マレーシア、シンガポール、香港といたるところで活躍しています。そんな彼らに改めて日本の病院で働きながら日本語の読み書きを三年でマスターさせようと言うのです。
これを諸外国にならって受け入れた場合、外国語を話すことは他のどの国よりも早くマスターしてしまうフィリピン人を、フィリピン国内の何倍かの給料で雇うことで日本国内で追いつかなくなった雇用を確保します。それでも日本人と比べたら安い給料ですが、安定的に雇用が確保でき、国家の福祉の底辺が支えられます。しかし、どうしてもそうした外国人の介護が不満だと言う方やもっときめ細かな介護を望む方には多少高い値段になっても日本の介護士にやってもらう。こうして特定の介護を日本人に限定する場合、福祉にサービスを加えた形になるので現在の介護士の給与も引き上げることができます。海外ではそうしています。

一方、日本のやり方では、フィリピン人はアジアの中でも使い道のない日本語の読み書きを半ば強制されて学ばなければならない上、現実に給与が低過ぎて生活に支障を来している日本の介護士の問題はそのままです。さらに日本国民は際限なくこれを実施する関連団体に税金をつぎ込まなければならず、そうしない限り福祉としての介護は成り立たない状況を迎えます。国際社会の中で既に英語をマスターしている者に改めて日本語の試験を義務づけるというのは極めて独創的です。例えば香港で働く外国人に中国語の筆記試験をやらせたり、中近東の外国人にアラビア語の筆記試験をやらせることを考えてみれば分かります。どうしても日本語の筆記能力にこだわるのであれば、中国人や韓国人の方がはるかにその目的に合っています。
このシステムに問題があるのは、全てを国が一律に規定を設けることで実際に介護を受ける者も、そのための税金を支払う者からも選択肢を奪っています。また、既に国際的に認められているフィリピン人の評価を日本独自のやり方で改めることは日本が国際社会の中で協調できないことを表しています。学ばなければならない立場にあるのは彼らを受け入れる日本側である上に、現実に破綻しているのは日本の財政だと言うことです。なぜ日本の戦時中の同化政策を思い出させるようなことを強制するのですか。普通に考えて、結果的に多くのフィリピンの介護士たちが再び帰国せざるを得ないことになりますが、敢えてこのシステムを実行した場合の責任者と、その者が主張したこのシステムにおける具体的な戦略を明確にし、改めて日本国民に問わない限り、戦争中の日本と同様に誰一人としてこの責任など取れません。
最終的に日本人と同様の給料を支払うのであれば、特にフィリピン人やインドネシア人に限定する理由はどこにあるのか。国民の税金を使い働きながら日本語を学習できるのであれば、例えヨーロッパの方でも希望者はいるのです。また、敢えてそのような試験を漢字圏ではないフィリピン人に課す意味はどこにあるのか。皆さんの中にこれを説明できる方がどの程度いるのでしょう。

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