この様な歴史をたどり、また皆さんが見聞きした情報などを考え合わせると、この国の人々が今日も尚、絶望的な思いをしているだろうと想像されるでしょう。おかしな話ですが、私は現在のカンボジアの人たちがアジアの中でも最も前向きで明るいと思います。この理由を私なりに考えたのですが、今のカンボジアの社会で忙しく働いている人々の年齢が大変に若く、同時にそうした社会で伝統とかしきたりにとかに縛られず若者を威圧する老人とか序列化した社会も存在せず、自分たち独自の現代的なネットワークを使いのびのびと新しい事業に挑戦しているためなのでしょう。
プノンペンでも平均的な月給は5,000円程です。だからこそ「カンボジアの貧困を救おう」となるのですが、社会全体がこうした状況のとき、そこで暮らしている一人一人が貧乏を意識している訳では必ずしもありません。例え五千円であっても、一部の例外を除いて、家族と協力する中で電気も水道もガスも供給されています。また、都市部の食堂などにテレビは設置されていますが、その前に人々が群がるようなこともありませんので一般の家庭でもテレビは見ているようです。貧しいというのは食事が不自由しない限り、社会の中の相対的な比較でしかありません。ですから特に戦争を身近に知る彼らにとっては、ただ平和な日々を送れるというだけでも十分に幸せで、年を重ねるごとに発展を続ける街を背景に日常的な興奮さえ熱気を帯びているような印象があります。実際様々な市場に店が軒を連ね、市民生活は大変活気に満ちています。よく私はこういった食堂でベトナム式のアイスコーヒーを飲んで過ごしていますが、客を待つバイクの運転手などは昼間から暇を見てはサッカー賭博に興じています。日本で開催しているゲーム等も賭博の対象になっていますから私も日本のサッカーチームの状態を聞かれました。街の様子はベトナムと似ているので、これはフランスの植民地文化の影響なのでしょう。夕方の帰宅する時間帯になるとビヤホールでお酒を飲みながら仲間と食事をする光景もベトナムと共通しています。
しかし交通事情もベトナムそのもので恐らく最悪と言えるでしょう。ベトナム国内も危険であることに変わりはないのですが、交通事故は見た目程には起こりません。カンボジアは見た目もベトナム並みですが、実際に交通事故は相当に頻発しています。信号無視や道路の逆走は日常的に見られる上に、咄嗟に事故を避けるだけの運転技術を持ち合わせていないという印象を受けます。カンボジアでは排気量が100cc未満なら免許を必要としないことも原因でしょう。救急車は普通に来ますし、プノンペンでは病院がないということもありませんが、その設備は十分ではありません。私自身もほとんど即死に近い事故を何度か見ています。バイクのヘルメットも義務化へ向けて、現在過渡期にあります。私はプノンペン市内の移動は自転車を使っています。日本製の中古を4,000円以下で売っています。また、最近はカンボジアに日本のヤマハとスズキが生産ライン工場を持っています。アジアではホンダのバイクが有名ですが、面白く感じるのは同じ中古のホンタでもベトナム製、タイ製、中国製、日本製とあり、それぞれ値段が異なっています。もちろん、一番古く、値段が高いのが日本製です。値段は日本国内と比べて変わらないように思いますが、独特の東南アジアのカラーリングは派手でオシャレなので、むしろ安く感じるでしょう。尚、カンボジアで支払いはアメリカのドルが使えますので、両替も必要ありません。