現在のミャンマーは軍事政権が続いているために国際社会に対して自ら国を閉ざしている印象は付きまとい、事実、アジアを知っている方でもミャンマーへは行ったことのない方が多いでしょう。ミャンマーは経済的にアメリカやEU諸国から制裁を受けている状態にあり、中国やかつてのソビエト、そして一時期北朝鮮からも援助を受けていたようです。現在これに加えてASEAN諸国が関係を持ちつつありますが、ASEAN自体決して西欧と価値観を対立させるつもりはないために、ASEANの加盟国となったことは経済面を別にすれば必ずしもミャンマー政府にとって都合が良いわけでは有りません。またこうした中で日本の無償資金援助協力は2007年で12.4億円に及び、現在でも宗主国であるイギリス、オーストラリアを抜き日本が最大の援助国となっています。ミャンマーで暮らす日本人は2008年時点で530人。一方日本で暮らすミャンマー人は約6千人います。日本人観光客は2004年で2万人を超えました。
ミャンマーの魅力はしっかりとした文化を背景に誠実な日々の暮らしを送るミャンマーの人々に尽きます。同時にその社会は「時代が異なる」という感想も抱きます。恐らくそのバランスが私たちに幻想的で魅力溢れる印象を与えています。最近になり急速にヤンゴン、マンダレーなどでは通信環境が整いつつあり、ネットカフェはもちろん、携帯電話も使えるようにはなっています。しかし、メールボックスへのアクセス制限が掛かっていたり、携帯も様々に制限されています。夜間にディスコに集う若者たちが車で疾走する光景も見られますが、こうした街を一歩外れると今でも藁葺きの家が並んでいます。外国人は確かに監視を受けている面はありますが、同時に保護されている面も有り、こうした家々を覗くためには自分の足で歩くしかありません。ミャンマー国内の教育は識字率も高く、民族問題があることを差し引いても行き渡っている感想を持ちますが、高校以上の教育、例えば英語をとって見てもイギリスの植民地であったにも関わらず実用的なレベルに達していないようです。しかし、ミャンマーの学生たちは大変に勉強に熱心で学校教育の不足分を彼ら自らの力で補おうとしているかの印象を受けます。ヤンゴン市内には外国観光客の他にもインド人街や中国人街があるように国際色豊かな活気に溢れた環境ですが、街はどことなく幻想的な雰囲気を失うことなく、また多くの人々は大変誠実です。実際のところ、私たちが見ることの出来ない地域がある反面、余計に身近に現代の秘境と言える場所にいるように感じられます。
目にすることができる観光名所でさえ私たちの感覚からはかけ離れた造形をしていますし、そこで暮らす人々のその国際的な社会の中で異なる時代を生きている現実の間を訪れた私たちの感覚も浮遊するのです。実際にはこの国でどの程度学術的な研究が進んでいるのか伺い知れませんが、一見した佇まいを見ても世界的な遺産があちらこちらに転がっていることは容易に想像できます。それだけにこの国を訪れた者は、ミャンマーがこれから先、他のASEAN諸国と同様の道を歩むことに躊躇いを禁じ得ません。私たちの勝手であることは承知しながらも、この私たちを魅了する幻想的な世界が国際的な視線に晒され、やがては消えて行くことを恐れるのです。
以上はここを訪れる多くの観光客の視線ですが、実際には住民同士が監視し合い、また密告の絶えない社会だと言われます。彼らの大変率直で明るい人柄の裏には、私たちに伝えたくても口を閉ざす他にない厳しい現実の中を生きています。例えば、報道カメラマンの長井さんが射殺された様子を彼らに聞くことはできません。仮に話してくれる方がいたなら、後日その方に必ず迷惑がかかることになります。しかし、こういった事情を省けばミャンマーの方々の日常生活は私たちと左程変わりはありません。ミャンマーの方は大変な映画好きです。映画館は恋人たちのお決まりのコースとなっていますし、夕方には仕事を終えた者たちは食堂のテレビに映し出される映画を大勢で観ることが日課になっています。日中でも仕事の合間にビデオCDを借りて来て仲間と観ています。テレビ番組も天気予報の他はろくなニュースがない分、アクション映画が流行っていて地元のスターの活躍に一喜一憂しています。面白いことですが、一般に政治を語ることは禁じられていながら、彼らが観ているのは現代の韓国の恋愛映画であったり、アメリカの刑務所の話であったり香港映画であり、内容は私たちが観るものと変わりがないため、多分にその国の政治状況などがリアルタイムに映し出されています。ミャンマーで創られた番組だと善と悪とが類型化された勧善懲悪ものという印象ですが、海外の映画からは複雑な設定であるほど政治について考えさせられるものが少なくないため、吹き替えの際に巧妙に内容を変えていることも考えられます。歌謡曲も大変盛んです。歌のステージや華やかな舞台とバックダンサーなどの振り付けも日本と左程変わりません。曲は日本で聞いたことのあるものも多いのですが、歌詞は全てミャンマー語で歌われています。ですから日本の演歌とともにアメリカのカントリー曲などがミャンマー語で歌われています。
先にも若者がディスコで踊り夜間車を乗り回していると述べましたが、その多くは特権階級の子弟たちであり、一般の方が彼らを見る目は大変冷ややかです。うんざりした表情を浮かべながらも黙々と目の前の仕事に精を出す彼らは確かに日本人に似ています。ふと街を見渡すと目につく車の9割は日本車であり、かつて日本の地方を走っていたバスには今でも日本語がそのまま残っています。彼らにとって日本語を残すことはブランドを証明する貴重な証拠であり、このことからも非常に親日的な国と言えるでしょう。